私の香り
思い返してみると、20代は自分の香りを探し求めていた。
今は廃刊となっているが、かつてヴァンティーヌという女性雑誌があった。
そこには装うということの意味、自分を客観的にみること、自分のストーリーを作って生きていくこと、がファッションというものを通して書かれていた。(と思う)
香りの特集もよく組まれていて、単なる商品の紹介ではなく、香りと共にどういう風に生きるのかということを見せようとしていた。
「私のおばあちゃんの香りはゲランのルールブルー。お母さんはゲランのシャリマー。2人ともずっと変わらないの。私はその香りで落ち着くの。ちなみに私の香りは◯◯と、◯◯。」(ここは何故か全然覚えてない。)
「私は朝起きたらすぐに香水をつけますの。香りなしの私は私ではありません。(←これはおばあさまの言葉)」
という内容の記事が、見開きいっぱいの意思を持った顔の家族3人と美しい家の写真と共に。
それからというもの、私の香りを探すのだ〜と息巻くものの、一本で全てを網羅する香りがない。
雨の日も、ちょっとむしむしとする過ごしにくい日も、体調が悪い時も、自信を持って行動したい時も、夜ゆっくりリラックスしたい時も、よりそってくれる万能選手がみつからないまま子供が生まれ、自分自身のライフスタイルも変わっていく。
ある日、雑誌で小さな記事を発見。たしかフランス在住の日本人のコメント。
「私の愛用の香水はサンタマリアノノヴェッラのポプリ。」
これだっ。と強い衝動と確信。(リュートを発見した時と全く同じだわ、と書きながら苦笑してしまうけれど)
当時、日本にはお店がなく、唯一の路面店があると知り青山へ。薄らくらいお店に入ると押し寄せてくる重厚なハーブの香り。
テスターが置いてあるわけでもなく、シーンと静かな中、「ポプリのオーデコロン(サンタマリアのヴェッラの香水は、オーデコロン)をくださいっ」と試すこともなく購入。
でも大丈夫。私には確信があったから(笑)
それ以来もういくつになるだろうか。年に2−3本を使っているので20個はゆうに超えているだろう。
香りは名前の通り、フィレンツェの丘に咲き乱れる草花から作られるポプリそのもの。と文章を読むと柔らかな感じの印象だが、実際は薬草そのもの。
精神的にきついときは浴びるように振りかけていたときもあった。自分を守るために。
これさえあれば大丈夫。と依存していた時も。
北海道にキャンプに行った時、移動中の船の中でまだ小さかった息子の喘息が出て(おばかな母親は薬を忘れ)途方にくれてポプリオーデコロンを振りかけたらすーっと呼吸が楽になり、眠ってくれたことも。(薬はわすれても、自分の香りは必ず携帯)
娘に「今日、ママ学校に来たでしょ。友達にあなたのお母さんの香りがする、って言われた」と聞かされ、あれ?そんなに強くつけていっちゃったっけ?としょんぼり。先生との秘密の面談だったのだけれど。
なにか頑張らなければならない時、子供は私のポプリをつけていく。
ロッタはこの香りがついた手が大好きで、私の手をよくなめていたっけ。
最期のお別れの時も娘はこの香りをロッタにつけた。ロッタがふっと笑ったような気がした。
今はオーデコロンだけではなくポプリそのものや部屋においたり、洋服ダンスに入れる蜜蝋でかためたポプリを着物の引き出しにいれて移香を楽しんでいる。(帯揚げの引き出しにも入れていて着物を着る最後のあたりで帯揚げをあつかうときにふわっと香ると嬉しい)
そしてポプリのキャンドルも施術のときによく使う。
ポプリの香りが特別なことではなく、普通の日常のこととして私の生活の中に、そして家族の生活に根をおろした。
出発点は自分を特別なものとしたい。なりたい自分に近づける力がほしい、という気持ちだったと思う。
けれども、結果的にはリラックスした自分のまま家の中でも外でもあるためのちょっとした楽しみ。人生を彩るための大事な小物として今私は香りとつきあっている。
ルネはどこ?
手前はラスティ(5階から飛び降りて足の手術をしたあとで左足がツルツル)
横は愛しのロッタ。
そう。その後ろに積み上げてあるクッションにおまんじゅうのようにお尻を向けて寝ているのがルネ。
しとしと雨の朝。自分の中の時間と外の時間をゆっくりと合わせていくために自然が手伝ってくれます。
よい一日を。
4コメント
2016.04.16 00:03
2016.04.15 23:51
2016.04.15 12:48